【概要】
いつもの社会にまつわる愚痴
本物に会いたい、本物が欲しい。
常にそう思っている。
社会生活を送れば送るほど本物からは遠ざかっていくもので、社会生活から距離がある人ほど「本物」だなあという感じがしてくる。
例えば酒。酒は全てを狂わせる。別に酒が全て悪いわけではないものの、やはり素面が良いに越したことはない。あと酒を飲むのは儀式なので、下手をすると儀式だけやって終わってしまうこともある。
例えば世話話。これははっきり自分が悪いのもわかっている。でもどうしてもこれをやらなくちゃいけないのが億劫で、みんながみんなキツネ(また星の王子さまを擦ってしまう)のようにただ寄り添ってくれればいいのにといつも思っている。しかしこれも結局は儀式なので、やらなくてはいけない。
あとはテレビとか、インターネットの誇張表現とか、そういう……形骸化したものというかフォーマット化した表現というか、意味の無い儀式全般ですよね。
社会(デカめの主語)、とにかくこういう儀式をこなすうちに本物に会えなくなってることが多くて、自分で探さないといけない。
思うに自分が求める本物というものは、社会的な「てにをは」を省いた状態で、1番手っ取り早く確信に触れていることなのではないかと。
その点、社会にあまり触れていない(ということになっている)人間の作るものは「本物」っぽさがある。ように思える。
生っぽい感情だったり、そうせざるを得なかった奇妙な構成だったり、理解を求めていなそうな姿勢とか、煮え固まった執念とか、そういうエトセトラエトセトラがたまらなく好きで、これらとの出会いのためにオタクを続けてしまう。
多分、憧憬なんだと思う。
そういう人間がいてほしい、ビジネスであってもそういう設定の人間がやっていてほしい、それは純粋な自分の憧れだから。
そしてそこにある本物が欲しい……。
夢を見せてくれ…………。
君のなかで世間が非難するところのものを、十分に手を入れて育てあげたまえ、それがほかならぬ君なのだから。