ちくわ天ブログ

オタク報告

そのヒクツさはぁ、すでに傲慢ですよぉ

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自我、拗らせてますか?(挨拶)

最近なにかと上野こよりちゃんのこの(表題の)セリフが脳裏をよぎります。

 

いいセリフですよね。

前後の会話の流れも支離滅裂で、ともすればふーんで流しそうになってしまいますが、澱のように引っかかるセリフです。

 

ひ‐くつ【卑屈】
〘名〙 (形動) 気力がなく品性が卑劣であること。意気地がなく行為が下劣であること。あるいは、自分を卑しめて、相手に屈伏したり、妥協したり、へつらったりすること。また、そのさま。

 

ごう‐まん ガウ‥【傲慢】
〘名〙 (形動) おごりたかぶって、人をあなどること。人をみくだして礼儀を欠くこと。また、そのさま。

 

つまり「卑劣な品性でもって自分を卑しめる態度は、相手を侮辱した礼節に欠ける振る舞い」ですよぉ、とかそんなニュアンスなのかもしれません。

 

卑屈になると優しい言葉をかけてもらいがちなので、「卑屈さは傲慢」とはよく言ったものだなあとだんだんしっくり来ます。

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要はできないことやダメな現状に胡座をかいて開き直ってることを咎めているわけです。

これはいるなあ〜と思うと同時に自分も結構やっていることなので、改めるべきことなんだろうなと思います。

 

でも、実際に生きているとそういう卑しさのある人間の方がちょっと味があっていい場合もあります。

本当に卑屈な人間は「そんなことないよ」的な社交辞令では決して靡かない、信念のような拗れがあるのです。

もう手遅れな人を見ると、逆にそのままの君でいてくれ的な気持ちにすらなったりします。

自分を卑しめることで他者から赦しを得る、そういう生存戦略も一周まわればいじらしいものかもしれません。

 

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おわり