ちくわ天ブログ

オタク報告

小さなパラダイムシフト

f:id:chikuwatenp:20220506202345j:image

今日は140文字以上の自分語りをしようと思います。

と言っても自分のことというよりは自分のどうしても忘れられない記憶の話をします。

 

多分小学4年生か5年生くらいの頃の話なのですが、どうしても忘れられない、というよりも忘れられなくて何回も意識的に思い出すことでより忘れられなくなった記憶の話です。

 

このくらいの年頃の女子というのはかなり情緒が発達してて、大人に対する態度とか、子ども同士の複雑な社会をかなりやり込んでいるもので、それは文字通り学校と家の往復しかしようのないクソ田舎だからこそより発達せざるを得なかった虚無情緒かもしれません。

とにかくこの頃はこの頃で色々大変でした。

 

f:id:chikuwatenp:20220506203710j:image

ある日友達2人が喧嘩して、なんやかんやで先生がかなり曖昧な仲裁にはいりました。喧嘩といってもだいたい日常茶飯事の範囲で、そんな金銭とか暴力とかが絡むほどのたいそうなものではなかったと思います。

自分は別にどっちの味方とかでもなくて、とりあえず先生の近くていきさつを見守っていたような感じです。

 

いつものパターンならお互いの言い分を聞いて両者ともにごめんねって謝って、内心どう思っていようと、とりあえず明日からは普通に接している体を取ります。この頃はそういうやりとりが出来るくらいには自分たちの社会ができていました。内心どう思っていようと。

 

f:id:chikuwatenp:20220506204650j:image

しかしこの日は違ったのです。

片方の子はわんわん泣きながら絶対謝らない、謝りたくないと言って聞かず、結局どうなったかそこからの記憶は曖昧になってしまいました。

もう謝ってお開きにしましょうねという不文律の空気に包まれた夕方の昇降口で、とにかくはっきりと「絶対に謝らない」と言い切った姿が忘れられないのです。

 

今にして思えば、ああいうのが美しい生き方の一つなのかもしれません。単にわがままを通しているだけと言えばそうかもしれませんし、自分は自分で常識の範囲外の行動を取れるアナーキーに憧れているだけかもしれません。それでも当時の大変さとか必死さを思い出すと、自分の気持ちとか自尊心とかそういうものを守るために必要なわがままだったのだと思います。

 

f:id:chikuwatenp:20220506205458j:image

正直かなり美化されてはいますが、こういう小さなパラダイムシフトを大事にしていきたいものですね。

f:id:chikuwatenp:20220506210303j:image