そろそろ無職になります。
コロナとかは関係無しにずっと前から決まっていたことで、具体的には去年の夏くらいにもう無理だなあと思って辞めたいです云々の話をしていて今に至る。
おかしいやろ。長すぎだろ。
なんで辞めたいのかと言えば色々あるけど、1番の理由は心の自由を侵害されているなあと実感することが多かったことで、この心の自由的な概念は過去わりと色んな人が唱えているらしい。
自分の場合もう少し具体的に言うと、明るく前向きで積極的で成長が大好き!頑張るぞという姿勢、ひたむきさ実直さ従順さ真面目さ、まめであること、気が利くことその他諸々、そういう感じの人格であることをうっすらと強要されていて、これに当てはまらないことがだいたい悪いことと見なされるのがただただ嫌だった。
明るく前向き。
本当に最悪な言葉だと思うけど、実際これが無いと社会をやっていけないこともむちゃくちゃわかる。だからギリギリの…税金のような…前向き税みたいなものを払っていたんだけど、それでも結局自分の考えそのものや、思考の端々に障ることが多くなってくると、なんでこんな無理してまで不快な気持ちを買わないといけないんだと思うことが多くなった。
お酒を飲み過ぎると肝臓の機能が保たなくなるのと同じで、不快な気持ちを流し込み続けて脳が保たなくなってきている。
社会をやる上で誰しもがペルソナをやってるわけだし、専門用語で言うところの「潤滑油」であり心理学用語で言う「ATフィールド」なのかもしれない。それでもたまに「ありのまま」だとか「素」じゃないとダメだっていう人がいる。税金じゃなくて、自発的に明るさを支払わないといけないっていう人が出てくる。
願いが叶うならばゆるやかに衰退したい。
富も名誉もいらないけど翼がほしいわけでもない。
こういう自由の求め方が社会的に間違っていることも、社会的な一つの単位としての感覚でわかる。
落とし所が無い。
難しい。